佐伯たろう

生活の記

今朝はもう決まっていた

昨晩、22時半過ぎには就寝。

今朝6時少し前に起きるためだ。

・単純により多くの睡眠を取りたかった

・以前母からもらった良いベーコンを食パンの上に置きたかった

・久しぶりにここに来たかった

結果、全てをこなすことができた。

しかし、本当はもう少しここでつらつらと最近考えていることを書きたかったのだが、5時半に起きないとそれは無理らしい。

一日の終わりに総括するという意味では、やはり夜に書くほうが向いているのかもしれない。

YouTubeで「ファンタスティック・プラネット」と「ちょびっツ」が期間限定で無料公開されている。これを機にどちらも見ることにした。

健康でありたい25歳、新年の決意

昨年は心身ともに調子がよくないと感じる日が多かった。

調子がよくないと、いつもぎりぎりできている自炊をする気力などなくなる。

自炊ができないとなると、即席で食べられるものかコンビニに頼ることになる。

これらに頼るということは、時間と気力を得る代わりに心身の健康を生贄として捧げることへの同意となる。

 

心身の健康をおろそかにし、その他自己努力でどうにかなりそうなものを獲得していること

2023年末にようやくやっと気が付いた。

気が付くのが遅かったとも思ったが、昨年の私に気が付く余裕など到底なかった。

嫌なことがあると食に逃げるしかできなかった。

好きなことはたくさんあるが、とんでもない重さのストレスを解消することはなかなかできないし、解消方法にしたくもなかった。

 

2024年は、仕事帰りに欲のままカロリーを購入することをやめよう。

心身の健康のためになるものを摂取しよう。

嫌いだけど体を動かすことも怠らずやろう。

少しずつ

 

置いていくね

明日から1年をまた最初から数え直す。

1年の最後の5時間を指折り数えるこの時間に、久しぶりに書いてみようと思った。

 

今年はどんな1年でしたか?

目標は達成できましたか?

印象に残った出来事は何かありましたか?

来年はどんな1年にしたいですか?

 

この1年間は2023年という時間に置いていきたい経験や思いをたくさんした。

一言で表せないくらい揺れ動いた。

 

休職した。全てを抱え込んでそのまま潰れた。

私はあの時、仕事を辞めるかもしれないという心配どころではなかった。

人生を辞める・諦めるかもしれなかったのだ。

潰れた自分をさらに責めた。潰れたのは忍耐力のない自分のせいだ、と

踏み切りを見ては「電車が来たら、飛び込んだら、死ねるのかな」

5階にある大好きな自宅の窓を見ては「飛び降りたら、痛いかな、死ねるのかな」

ひたすらに消えたいと思っていた。

ご飯を食べながら何が悲しいのかわからないまま、泣いていた。

この世界での自分の存在意義を見出せず、迷惑かけてばかりの自分が大嫌いだった。

 

そんな私に「消えてほしくない」と言ってくれた。踏み切りを見つめる私の手を引いてくれた。ひたすらに泣いていた私のそばにいてくれた。潰れた私を軽蔑することなく、ずっとずっと好きでいてくれてありがとう。

一緒にいてくれなかったら、間違いなく穏やかなこの時間を過ごせていなかったと思います。

 

「苦しい」「消えたい」と深夜に何度も電話をかけても、仕事で疲れている中優しく話を聞いてくれた。すぐに会いに来てくれた。

本当にありがとう。

 

食欲がなく少しずつしかご飯が食べられない私に付き合って、話をたくさん聞いてくれた。

本当にありがとう。

 

会ったら「頑張ったね」と言ってくれたみんなみんな本当にありがとう。

 

大袈裟でなく、みんなが支えてくれて、友達でいてくれて、だから今の私がいます。

本当にありがとう。

あの時、人生を辞めなくて良かったと本気で思います。

 

祖母が亡くなった。

亡くなる2ヶ月前から妄想が酷くなっていた。

最後に病院で会えた時には、「あすちゃんここは怖い人ばかりだよ。後ろから銃で撃たれるよ。早く帰りなさい。」と話していた。私は「あと5分おばあちゃんといてもいいかな?」としか言えなかった。祖母を返して欲しい、と思った。

とっても強くて優しい祖母だった。

 

トイレが近くにないと怖い。

軽いパニック障害とは高校からの付き合い、長い付き合いになってしまった。

今も美容院のシャンプー台や映画館、特急電車、密室、初めての場所は怖い。

足が震えて呼吸が浅くならないように、トイレには必ず行く。

頻繁にトイレに行く私を、私自身否定せずまるっと肯定したい。

 

こんな私ですが、来年も楽しいこと好きなことをして生きたいし、

生きていくしかないんだよ

 

来年はもっともっと本を読んで、映画を見て、ブログに気持ちを綴りにきます。

 

最悪な2023年はここに置いていくぞ!!!ついてくるな!!!!

 

 

 

 

無題

タイトルを30秒ほどうーんと悩んだ後、「思いつかないならそのままでいいじゃない」と思い無題とした。

きっと今日以外にも無題というタイトルが増えていくだろう。そもそも、無題というのは未入力の状態を言うのであり、無題というタイトルをつけている時点で本来の無題ではない。考えることを諦めたときの救世主、無題

 

最近は特に変わりはなく、相も変わらず毎朝食パンにジャムを塗っている。

やることを探すのに必死だった先週と打って変わって、今週はいつの間にかデスクに資料が積まれているような感覚(無論、昨今のデジタル社会において経験したことはない。あくまでも感覚だ。漫画でよく見るような風景)で仕事が生まれていく。

仕事をすること自体は別に嫌いではないため、そこまで苦にはなっていない。

 

今週も今日で最後な訳だが、やはり5日フルで働くと時間への感覚がおかしくなる。

毎日はほとんど出退勤・仕事によって、自分の時間は潰されていくのだが、

一方で1週間という尺で考えると、とにもかくにも次の日へ駒を進める一手がスローリー過ぎて耐えられない。

 

結局は同じような話をぐるぐるとしているわけで、環境が変わっても人が考えが変わるわけではないためこの先もずっと同じ話をするだろう。

それでもこの場所は私にとって意味のある場所なのだ。

時間の有効活用とは?

昨晩22時に就寝し、5時に目覚ましをかけた。

早起きではあるが睡眠時間は大して変わらないので、90%の確率で起きられると思った。

夜中に一度起きてしまったこともあり、5時のアラームをいつの間にか止め、通常通り6時10分に起きた。自分を過信していた自分に負けた。

 

そもそもなぜ5時に起きることを決意したのかというと、恋人とYouTubeVlogを上げている方が双方朝活をしていることに影響されたのだ。

影響を受けた上で、日々限られた時間を果たして自分のものにできているのかと己に問い直した。答えはノー。特に帰宅後、最低限の家事を行った後は座ったが最後、何もできずにいつの間にか寝落ちしてしまうこともしばしば。

自己嫌悪にもなりかねない時間を生まれ変わらせるには、朝に行動しようと思ったわけだ。

 

といっても本日は失敗。明日こそ起きられるといいな。

 

ただ本日は朝にこのブログが書けたのでまずまずということにしておこう。

20分後の出勤に向けて準備。いってきます。

旅行に行ったまま

秋花粉にやられている。

・7月から復職した

自らと、自らの好きなものしか手に取らなくていい生活は約2ヶ月という短さだった。

しかし、なんだろうか、やはり性分なのだろうか、労働をしない毎日にいつの間にか少し嫌気さえ覚えていた。朝遅く起きて、夜更かしをする生活に体が蝕まれていた。

復職してから休んでいた間よりも読書が捗っている。

悔しいかな、社会人生活へと適応していた体は、体だけであれば最適解なのだ。

・恋人の地元へ

夏休み、恋人の地元へ旅行に出かけた。初めての空気に胸が静まらない、楽しい3日間だった。

・8月にコロナ罹患

約1週間の休暇。職場に行かなくていい理由にはなった。貴重な三連休がコロナに奪われた。一人では立ち向かえない、自分の弱さを改めて実感した。

・祖母

入院していた祖母が10月はじめに逝去した。

祖母の逝去:受け入れがたい現実

職場への連絡:日常

親戚との再会:非日常

すべてが入り混じった状況に、心の置き場が定まらない。

旅行記1

1人暮らしを始めてから4日間も家を空けたことがなかった。

スーツケースの中身は前日ある程度準備していたし、足りないものは買い足せばいい。

取り返しのつかない窓やガス、電気は何度も何度も確認した。

 

4月末職場でのストレスに耐えていた心身が限界を迎え、適応障害という診断を受けた。何よりもここまで1人で頑張ってきたことが報われなかったような気がしてとても悔しかった。

周りに頼りない人しかいなかった環境で藻掻いていたことは意味のないことだったのか

決して自分のせいではないのだが、全てを自分のせいだと考えてしまった。

(ここらへんの話はいつかまた)

 

せっかく立ち止まる時間ができたのだから、今までやりたいことリストに挙げていたことを消化しようと思った。一人旅だ。そうだ、一人旅をしよう。行きたかったところにいって、気の赴くままに行動して、死んでしまった心に水をあげに行こう。

考えてから行動し始めるまでは早かった。旅程を決め、新幹線・宿泊場所を予約。出発日のたった1週間前の話だ。

こうして、5/15(月)~5/18(木)の3泊4日、京都・奈良一人旅計画が企てられた。

題して『参拝したかった神社仏閣・仏像巡り旅~ついでに美味しいものも食べる~』

 

正直、旅行初日の朝が訪れるまでは「急すぎたかな」と後悔さえしていた。

アラームに起こされてからは前日までと打って変わってそわそわどきどき。

「絶対に大きすぎるわ」というスーツケースの大きさ以外は上向きな気持ちで出発した。うきうきし過ぎて最寄り駅のホームへのエレベーターでちゃっかり写真を撮った。

新幹線に乗るからには駅弁を購入しようと考えていたのだが、しっくりくるものがなかった。じゃがりこわさび味、いくらおにぎり、水を購入。

いよいよ新幹線に乗り込んだ。一人で新幹線に乗ることに若干の不安と緊張があったが、2年ほど前付き合っていた人に会いに複数回一人で乗車していたことを思い出し、「あの時の私ありがとう」と心底思った。

 

ーーここまで書いて約2週間経過してしまった。見たもの感じたものを完璧にここに記そうとした結果、手をつけることが億劫になってしまった。「やるからには完璧を目指さなければ」という考えがいつのまにか頭のど真ん中にいた。よくない。どこかに出すわけでもない、全てを記せなくても私の中に残っているのだから。適当にゆるく書く。そうしてまたパソコンに向かうことができた。ここまでの旅行記よりも断然適当だが、個人的なブログなんてそんなものだろう。では、ゆるく続きを振り返る。ーー

京都タワー弥勒菩薩

京都に来たからにはまず京都タワーを見上げなければ!と京都に行く度に思う。

 

三十三間堂弥勒菩薩

この旅の目的の一つ、三十三間堂へ。仏像が好きな私には決して言い過ぎではなく”天国”のような場所だ。三十三間堂は正式名称を『蓮華王院(れんげおういん)』と言い、堂内には1001体の観音像がまつられている。観音像以外にも風神・雷神像や観音二十八部衆像をみることができる。

靴を脱ぎ下駄箱へ靴を入れ、堂内へと進む。観音像が目いっぱいに映った瞬間、「ああまた帰ってこれたのだな」と胸がいっぱいになり涙が出た。しばらくは動かず立ち尽くそうとしていたのだが、コロナが落ち着いたからだろう、修学旅行生やおしゃべりなおばさま軍団が次々と堂内へ入り、口々に「わあ~すご~い」と大きな声で言うものだから、静かな気持ちで見つめることがなかなか難しかった。人々がそれなりにまばらになってからゆっくりと堂内を進んだ。私の心の拠り所であることを改めて実感できた。観音像がまつられている裏にも観音像やお堂にまつわる展示があり、一つ一つ拝見した。気付けば約1時間経過していた。帰りにポストカードを購入。

 

お堂を出るとにわか雨が降っていた。ホテルに折り畳み傘を忘れてしまった私は、雨が止むまで待つことにした。ものの20分で雨は止んだ。雨がまた降る前に、とバスに乗り込んだ。

清水寺

時刻は既に15時。今日はあまり遠くへ行けないと思い、清水寺二年坂三年坂方面へ。と言っても、今回の旅は今まで参拝できなかったところメインのため清水寺は遠くから眺めたのみ。青い紅葉と赤のコントラストが美しかった。

5月中旬と言えど、この日は気温が20度後半。とても暑かったので、修学旅行生やカップルに交じって抹茶ソフトを食べた。一人で観光している方はほとんど見なかったが、何ら周りが気にならず寂しさもなかった。

五重の塔、ザ京都という風景

とにかく外国人観光客と修学旅行生が多かった。制服を着させられながら観光している修学旅行生は眩しく見えた。

六波羅蜜寺

空也上人立像を拝見しに初めての参拝。清水エリアから近いのだが、ほとんど人がいなかった。普段は見られない掛け軸が特別に展示されており、一つ一つ解説を読み像を食い入るように見つめた。展示室で40前後の男女4人グループが大きな声でずっと話しており少し気が滅入った。誰にでも開かれている場所ではあるが、せめてここでは私語を慎んでくれ、あなたたちにとっては退屈な場所かもしれないが、軽くない想いを抱えて来ている私のような人もいるのだぞと言いたくなる気持ちを必死に押し込めた。

天狼院書店

祇園方面へ向かっている途中にふと現れた書店。吸い込まれるように入店。小さな書店だが、オーナーの趣味であろうジャンルや作家の書籍が置いてあった。本への想いがある人が創りあげた空間は居心地がいい。ジャンルレスで置いてある街の本屋さんより個人的には好きが偏った書店が好きだ。

こちらでずっと気になっていた千早茜著の「しろがねの葉」を購入。二階のカフェスペースで1時間ほど読んだ。観光地の喧騒から離れ、読書に集中する時間は私に必要だった。

暗くなる前の祇園を歩き回り、先斗町へ向かったが人が多く京都駅へ戻った。

京都駅内の和食屋さんにておばんざいセットのようなものを食べた。

1日目にして結構歩き回り、暑さにもやられ、疲れ切ってしまった。

ホテルに戻り、シャワーを浴び、本の続きを少し読み眠った。