生活の記

真の脱出は程遠いかもしれないが

またしばらくぶりになってしまった。。

1月頃までは「あ~最近言葉吐き出せていないな~」と思う余裕はあった。

2月には思う余裕すらなくなり、言葉を吐き出せていない自分から目を背けていた。

 

主に仕事のことになる。

心を傷つけられた職場から脱出しなければとずっと思っていた。

新卒で入ると3・4年勤続で新しい部署に異動になる。

ただそれだけが希望で、復職してからなんとか働いてきた。

もともと「2ヶ月休職しているから、厳しく言うと2年10ヶ月勤続になる。異動の条件を満たすにはあと2か月不足している。異動は絶対にできるとは言えない。」とは言われていた。そうかもしれないが、こちらは生命までも脅かされたんだぞ!!!異動させないとかそんな非人道的な考えあるか!絶対異動!と思い込んでいた。

 

3月中旬

課長から「あなたは異動の対象者です。」と言われた。一安心。

現在の業務すら怪しいおばちゃんに引き継ぎは一応した。

できるだけ「ここに書きましたけど!言いましたけど!」と主張できるように、引継書・マニュアルを整備するのに時間を要した。

4月はじめ

課長から「あなたは〇〇課に異動です。」と言われた。よかった。脱出成功かも。

4月10日

最終出勤日。なんだか実感がわかないまま、片付けをしていたら一日が終わっていた。

思っていたよりも多くの方に話しかけてもらった。

みなさんからメッセージも頂いた。嬉しい言葉がたくさん。ちょっと抜粋。

・考えて行動する姿が頼もしかったです。

→クソ上司の代わりに4月1日にきた上司。2週間弱しかご一緒できなかったが、いい人。なんでもう1年早くきてくれてなかったのかと思う。

・能力を活かすには今の職場では狭いように思います。

→頼んだ仕事はやってくれなかったが、ちゃんと見てはくれていたらしい笑

・楽にいこう!

→いや本当、その精神今一番欲しい

・若くして色々と背負わされてしまのうは大変だったと思います。

→仕事頼んだときめっちゃ嫌な態度取られたのは忘れないけど、見てはくれていたらしいpart2

・ルーズな集団(隣の係)の中で本当に粘り強く関わりを続けてくださりありがとうございました。

→いつも些細なところを見てくれていた方、粘り強く関わるのは本当に大変だった!頑張った甲斐あり!

・とっても大変な思いをたくさんされたと思います。次の職場では若手らしく、後輩らしく、頼れる先輩方に囲まれることを願ってます。きっとどこでどんな仕事をしてても、どんな生活をしていても素敵な〇〇さんであることは変わらないです。

→めちゃめちゃ嬉しくて、涙が出た。

終わりよければすべてよし!とできないことをたくさんたくさん経験した3年間だったけれど、そうやってまとめればオチがつく!と思って、無理やり終わりよければすべてよしと思うことにした。

本当にお疲れ様だよ、本当によく頑張ったよ。偉いね自分!

4月11日~

新しい職場へ配属。今までの業務とは全くと言っていいほど違う。

同僚も係長も若く、仕事ができる。困ったら皆が手を差し伸べてくれる。

3年間年齢が上の人達と仕事をして、2年目から2年間放置されていた私にとって、

歓喜すべき環境なのに、今までとあまりにも違う環境に戸惑った。

頼るってどうすればいいんだっけ?わからないことはどう聞けば良いんだっけ?上司にはどこまで報連相すべきなんだっけ?改めて異常な職場で働いていたことを気付かされた。

環境の変化に体がついていかなかったのか、昼ご飯が喉を通らない、なんか気持ち悪いという日が何日かあったが、少しずつ慣れてきた。

 

さらに前の職場からSOSがくる。行くのは構わないが、「これ説明したのにな~」とか「これ引継書に書いたでしょ!(引継書を丁寧に書いても読みすらしない、完敗)」とか「いや、普通に業務の相談してくるな!もう私は違う所属だぞ!自分たちで考えろ!!!」とか…まだまだ完全な脱出とは程遠い。

 

とりあえず、GWで体を休める。人には期待をしない、自分にも期待をしない。ただ、自分のことを労ってあげる。これだけ考えよう。