生活の記

101

日曜日

 

100

というキリの良い安心感を得てから、1ヶ月が経った。

ようやくまたブログを書こうという気持ちが生まれた。

 

ただいま

おかえり

 

この1ヶ月、怒涛の1ヶ月。

第一に生活環境の変化。年始から一人暮らしを始めた。

何も知らず、裸のまま新生活を送ろうとしていた私の味方となったのは、

インターネット、一人暮らしの先輩たち、母、そして恋人。

引っ越しをして初めての一人の夜、あんなにも待ち焦がれていた環境を目の前に

心に浮かんだのは’’寂しさ’’

どこまでも傲慢で憎たらしいものだ。

 

一変、毎日仕事に向かって、パソコンに向かって、人と向き合って、

そんなことを繰り返していたら、生活せざるを得ない。

毎日生きるために働いて働くために生きていたら、慣れという言葉を与えられた。

とは言え、毎日が驚きと疑いの連続。たった一人が生活するために、一体何人の支えが必要なのだろうか。いくつの知恵が必要なのだろうか。

完璧を求めようものなら、肉体が衰えるのが先だろう。

 

久しぶりなものだから、脈絡のない話に許しを請いたい。

 

どんなに遠くにあっても近くにあっても、自分という存在をコントロールできないのもまた、人生か。

人に求めるものと自分を律するもの。それは同等のものでないといけないのか。

私は感情を表すことが得意な人間だと勘違いしていたようだが、違うことが最近わかった。

 

月曜日からのお弁当を作りながら、毎月欠かさずに書いていた恋人への手紙を先月書いていないことに気が付いた。

書こうとしていたのに、という前提すらない。引っ越しというのはここまで脳の引き出しを空にしてしまうのか。

手紙は言葉にするには足らないが、文字でしか表すことのできない感情を伝えることのできる唯一、だ。今月は書こうと思う。

 

今まで全体を確認できなかった書籍たち。本棚にて眺められるようになった。

せかせかと生活していく中で、少しずつ気持ちに余白ができた。

久しぶりに小説を購入し、読んでいる。

私を救うことのできるものに手を伸ばすことのできる、喜び。

自分に嘘をつかない程度に続きますように。

 

恋人との付き合いの中で、最近「慣れ」を感じる。

悪いことではない。ふと何も着飾らない自分に気が付くことが多くなり、

また、恋人も着飾らない時間が増えたように感じる。

慣れを感じる中でも、あくまで他人。気遣いや、相手の気持ち・話・表情を真正面から受け止めることは絶対にやめてはいけない。やめたら、やめてしまったら、関係を上に構築していくことができなくなる。横にしか増築できなくなってしまう。

横に増築するというのは、安定はするが何も成長しない。

 

最後に、最近の朝を支えてくれる歌を。

youtu.be

 

そのままで生きましょうね、というメッセージを勝手ながら受け取った。

強い歌声に涙が出そうになる。なんだろうねこの感情は。

私はこれからも生きてやるんだ、と醜い己の体から叫び声が聞こえる。

 

大丈夫という魔法のような、ありきたりな、信頼のできない言葉に

縋りついてもいいかな、今夜だけ。

 

今日ここに来れたから、明日からはただ通うだけ。

明日からもよろしくね。

 

今夜は

変に伸びた爪を切って、歪んだオーラをお湯で洗い流して、あとはベッドで生産性のない時間を過ごすだけ。

おやすみなさい。